Ryo HAMADA
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臼木直子 

浜田涼 sensibilia >>

幼い頃、繰り返し見る夢があり、決まって登場する見慣れたはずの肉親と、同じ場所。けれども、イメージ全体は曇り硝子越しに見るような半透明の薄い皮膜に覆われ、茫洋とした輪郭をもち、色彩の存在すら曖昧なほどに詳細な部分を欠いていた。その為に感じる、目覚めのもどかしさと微かな苛立ち……浜田涼の展覧会「sensibilia」の作品群に、その夢の記憶とともに、空虚な実感の感覚が、不思議と鮮明に蘇った。
ギャラリーのメイン・スペースには、縦長サイズの読書をしているようなおぼろげな少女、あるいは女性のポートレイトと、横に広い、太陽の光が乱舞する以外には映り込んでいるもののなにかを特定することはもはやできないが、通りの風景のような二点が、向かい合わせで壁面に浮かび上がっている。遠目にはソリッドな質感の磨硝子のように見えていた表面は、近づくにつれ、繊細さを顕わにする。その静電気録フィルムには、ピンボケしたスナップショットが拡大、カラーコピーされ、さらに二枚の同素材ブランクフィルムが重ねられている。虫ピンで浮かし留められた張りのあるフィルムに、硬質な強さと脆弱さとが見る者に同時に喚起される。
写真をベースとするその方法論にもかかわらず、浜田の視点はどこまでも画家のそれであり、写真から色と柄を抽出し、ポートレイトや風景としての対象のなかにある絵画性を再現しようとする強い視覚衝動がある。それは、言葉や意味の生成以前の触発的な覚起により立ち現れたイメージが留め置かれた、浜田のイメージの抽象化のプロセスでもある。乳白色の皮膜は、瞬間的な感覚のみを閉じ込める為に記号化された情報を捨象するフィルターである。物質感の取り除かれた、触発的な認識のレベルに留め置かれた浜田の視覚イメージは、臨死の際に見るのであろう風景のように、純化された記憶の神々しい美しさを覗かせている。


インディペンデントキュレーター
美術手帳2003年1月号ギャラリーレビューより






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